今更ながら、北方謙三氏が書いた三国志を読んでいます。ようやく10巻を読み終えました。
他の著者はのものは三国志演義に基づいていることが多い中、正史に基づいて曹操側の描写も多く書かれています。
この作品は人物描写が詳細で、特に主要人物についてはそれぞれ客観的に描かれており、また他の著書とは違った視点も数多く記されています。
曹操と荀彧、呂布と赤兎馬、劉備と関羽と張飛、孫堅と孫策・孫権そして周瑜、張魯と張衛そして馬超、諸葛亮…等々、多くの武将・文官のこれまでと違った側面がとても新鮮で、読んでいると胸が熱くなります。
その中でも張飛の人物像は特に好きです。三国志演義や民間伝承に基づいた張飛像は、無双の豪傑ながら、大酒飲みの乱暴者といったものだと思います。
例えば呂布が小沛城を、劉備が下邳城を治めていた頃、劉備が袁術の迎撃に向かった際、下邳城の守りを張飛に任せました。張飛はそのとき深酒をし、部下の曹豹を打ち殺そうとする騒動がありました。それを機に曹豹が呂布と内通し、下邳城は呂布に奪われてしまいます。
そんな張飛像ですが、北方謙三氏の三国志では、劉備の計略に従った張飛の演技だったとして描かれています。その頃の除州は豪族が幅を利かせており、劉備としてはそれらを処断したいが、人徳の将軍という名声に傷が付くと判断しました。そこで劉備は呂布に城を奪わせ、統治させることで邪魔な豪族を排除しようとしたそうです。
このように、張飛は劉備の名を傷つけないために、率先して汚名をかぶります。他にも、練兵についていけない兵士に激怒しそうになった劉備の顔色を察し、張飛が代わりにその兵士を打ち殺します。そうすることで兵士から張飛は恐れられますが、劉備の人徳を維持できるという具合にです。
その反面、張飛の内面は優しい豪傑として描かれており、練兵における厳しさは、実践で戦死する兵(仲間)が一人でも減るように、と思っての行動であるのだと記しています。
もう一人面白く描かれてる人物がいます。それは蜀軍の天才軍師、諸葛亮孔明です。
三国志演義では、荒々しいところの少ない冷静な天才軍師として描かれることが多いのですが、諸葛亮は劉備の志に心を打たれ、初陣では軍師としてだけでなく、一武将として張飛・関羽の豪傑に混じって剣を振るいます。その果敢さや、指示するだけでなく率先して自分も動くという側面は、今までにない孔明像として特徴的です。
また、関羽の死は、仲間の裏切り(孫権軍の同盟無視、糜芳・士仁の裏切り、孟達の日和見)を予想できていなかった自分の過ちであるとし、自責の念に駆られ取り乱し、自分を処罰するように劉備へ迫る、という人間らしい部分が描かれていたりします。沈着冷静で全てを見通す様な孔明像ではない側面は、読んでいて本当に面白いです。
このように北方氏の三国志は、人物の外面と内面、表と裏が詳細に書かれており、演義におけるステレオタイプとは違い、それぞれ魅力的に描かれています。しかも、シナリオはそのままに違った視点から人物を捉えるというところが、すごいところだと思います。呂布の裏切りにも、しっかりとした理由があるのです。
長文になりましたが、北方謙三の三国志は面白いです。